幸せを感じるために

こんばんは、Rindaです。

 

 

「あなたは今、幸せですか?」

なんてセリフを吐くと、宗教の勧誘か、インチキ占い師っぽいですが、私は頻繁に自分に問いかけています。

「自分は今、幸せか?」

私は論理的な人間なので、
「まず幸せとは何か?」とか、
考えちゃって答えが
出なくなってしまうんですが、
ここは感覚です。

 

「今、充実してる」とか
「今、すごく楽しい」とか
「なんか満たされてる感じする」とか・・・。

 

とにかく、ポジティブな感情全般を
「幸せ」というのだとして。

「あなたは今、幸せですか??」

幸せ=○○

 

幸せを感じる瞬間は人それぞれです。

 

ですが、一つだけ

必ず共通している事があります。

それは「集中していること」です

 

なぜなら、集中して物事に当たらなければ、
「それが幸せなのか」という判断が出来ないからです。

 

それは、

「集中しなければ価値が理解できない」
と言うこともできます。

 

幸せの感じ方 

 

例えば、ルールも何も分からない状態で、サッカーをしたとしましょう。

どうすれば勝ちなのか?
そもそもこれは勝負なのか?
このラインの意味はなんなのか?
このボールはどう扱うのか?
なぜ11人もいるのか?

こんな状態では、ゲームに集中出来るわけがありません。

 

さて、そのサッカーをしている時間は幸せでしょうか?

 

 

違う例えにしてみましょう。

 

あなたは高校生で、

テスト期間中の休日、

自室で勉強をしています。

でもイマイチ、気合が入らない。
多分それは部屋が汚いせいだ。
部屋キレイにすれば、気合が入るはず。
とりあえず、始める掃除。
普段は面倒くさがってやらない掃除。
それが今は無心になってサクサク進む。
キレイになった部屋を眺めてあなたは思う。
「疲れた・・・」

 

まあ、こんなこと誰もが
一度は経験していると思います。

 

そして、無駄にした時間に罪悪感を感じて、
さらにやる気が無くなってしまう。

 

「でも」、ですよ?

 

「疲れた・・・。」と呟いたあなたの顔は、
どんな顔でしたか?


なぜか、ちょっと満足げじゃなかったですか?


嫌いな掃除を集中してやったら、
「幸せ」になったわけですよね?

 

本当の不幸 

 

読んでいただいた例のように、

一般的に「楽しい」と思われていることでも、

集中していないと、「つまらない」

 

そして、普段「つまらない」と感じていることでも、

集中していないと、「満足」なわけです。

 

これは、
「集中出来れば、幸せと感じることが出来る」
と言って良いのではないですか??

 

もちろん集中しても、
向いていないことはつまらないし、
出来ないことはつまらない。

 

でも、集中していないと
「向いていないこと」も「出来ないこと」も
分からないかもしれない。


もっと恐ろしいのは、
「本当は向いている」のに、
「本当は出来る」のに、
つまらないことにしてしまうかもしれない。

 

これは、間違いなく「不幸」だと、私は思います。

 

RinDa