理不尽への対処法
どうも、RinDaです。
今回は「社会にあふれる理不尽への対処法」というテーマで書いていきます。
皆さんは、この社会に生きていて「理不尽」を感じることはどのくらいありますか?
親しくしていた人に裏切られた。
努力してきたのに結果が出なかった。
急な仕事を推し連れられた。
病気や遅刻、失くし物など自分の不注意や管理不足が原因の事柄や、明らかに自分のミスで迷惑を他人に与えてしまった事柄であるならば、納得してその苦痛を受け入れられるかもしれません。
ですが、他人が突如として自分に与えてくる理不尽は納得できないことが多くないですか?
自分は悪くないのに、不当な扱いを受けなければならないのか。
いつまでこの理不尽に耐えなければならないのか?
自分はいつになったら報われるのか?
不安な方もいると思います。
この記事では
について解説していきます。
理不尽を解決するカギは、あなたの心の中にあります。
「理不尽」に対抗するための鍵
理不尽とは「道理に合わない」という意味の言葉ですが、近ごろでは「道理に合わない悪意」という意味で捉えることが多いと思います。
ここで考えてほしいのは、「道理に合わない好意」もこの世に存在しているのではないか?ということ。
「道理に合わない好意」という意味を持つ言葉は、皆さんも知っていると思います。
それは「愛」です。
愛の中でも「慈愛」という言葉が一番正しいと思います。
「無償の愛」なんて言葉もありますが、「愛」というものも「道理に合わない」ものなのです。
社会にあふれている理不尽への対処法の鍵は、この「愛」なのです。
理不尽に対する考えを改める
「理不尽に対して愛をもって接しなさい」というのは常套手段です。
ですが、誰もがそのように慈悲にあふれているわけではありません。
今回解説する方法は、「理不尽を無くす方法」ではありません。
「理不尽に対する考え方を改める」という方法です。
そのヒントは「気持ちは目に見えない」ということ。
好意を抱いている人間と仲良くなろうとして声をかけると、迷惑そうな顔をされることがよくあります。
声を掛けられた側も別に迷惑に思っているわけではなく、驚いて表情が無くなっていたり、初対面の相手に警戒心が顔を出していたりするだけ。
驚くのも、警戒心が出るのも、声をかけた側の好意が目に見えないから。
逆に声かけた側が迷惑そうに思えるのも、相手の驚きや警戒心が目に見えないからです。
当然、悪意も好意も、目で見ることは出来ません。
ということは、皆さんが「理不尽だ!」と嘆いている事柄だって、もしかしたら相手の「好意」が見えていないだけかもしれません。
自分にとって都合の悪いことは全て「理不尽」に思えてしまい、「この世は理不尽で溢れている」と思えてしまうこともあるかもしれません。
そんな時は今一度、理不尽に対する考えを改めてみて下さい。
本当は、上手く伝わっていないだけで、相手の愛のある行為かもしれない。
そう思うだけで、この世の理不尽がかなり減ると思いますよ。
理不尽のパターンと具体的な対処
理不尽のパターンは、私が考えるに2パターンあります。
①表現の足りない愛
先述の通り、相手が誤解させるような表現しかできなかった場合です。
これは「相手の真意を確かめる質問をする」ことで解消できます。
また、普段の相手を観察することでも推測することができます。
なぜか自分”だけ”に理不尽な仕打ちを与え、自分に落ち度がない場合は、そこに愛がある可能性があります。
色んな人に理不尽な仕打ちをしている場合は②になります。
②傷つけられた自己愛の埋め合わせ
簡単にいうと「八つ当たり」です。
相手が第三者によって自己愛を傷つけられた結果、その埋め合わせをせずにいられない時に巻き起こります。
また、「俺が若い頃は~」という先輩から後輩に引き継がれている洗礼や慣習である場合もあります。
相手が自分にとって長く付き合いがある人間、長く付き合いたい人間であるのであれば、八つ当たりに気づいた段階で、相手に「様子が変だ」とか「大丈夫?」という言葉をかけて、相手に歩み寄ることで対処をしていきましょう。
相手に対して関心があまりない場合は、無視をするか、その人に近づかないようにすることをオススメします。
身近ではない人間に八つ当たりをするような人間は、他人が何か言ったところで何も変わりません。
ただ、誰にも甘えられないから、甘えさせてくれる人を探しているだけなので、甘えられたくないのであれば、関わる必要はありません。
まとめ
- 理不尽と愛はよく似ている
- 理不尽か愛か、ちゃんと判別する
- 愛をちゃんと伝えられない人
→相手の真意を確かめる- 八つ当たりをする人
→励ますか、放っておくか選ぶ
今回ご紹介した対処法もカンペキなものとは言い難いです。
なので、相手の気持ちを決めつけずに、ちゃんと向き合って、対処の仕方を考えてください。
「この世は理不尽で溢れている」という見方は確かに正しいと思えることもあります。
でもそれはもしかしたら、見方に偏りがあるのかもしれません。
その見方を逆側に偏らせた場合、その言葉は「この世は愛で溢れている」という素敵な言葉になります。
もちろんそれは、ハッキリと分かれるものではありませんが、
せめて自分の身の回りだけは愛で溢れている。
そんな環境に自分を置けるように、自分を愛し、他人を愛していきましょう。
RinDa