「地声で演じよう問題」について
どうも、RinDaです。
今回は「地声で演じよう問題」についてお話ししようと思います。
今回は解説というよりコラムっぽい記事になります。
目次
地声で演じよう問題とは?
養成所や劇団などのレッスンに出入りしていると、レッスンを取り仕切っている講師の方から「まずは声を変えずに地声で演じてみよう」と言われることがあります。
解釈としては「声を変えることに一生懸命にならずに芝居のことも考えましょう」ということです。
至って正論ではあるのですが、ぶっちゃけ欠陥もあると考えています。
成長の仕方は人それぞれ
我々人類は「多様性」を色濃く持つ生き物です。
そのため個体一人一人のスペックがまるっきり違います。
あくまで人間であるため、同様の動作や考え方ができますが、その過程やスピードが同じとは限りません。
つまり何が言いたいかというと、「声から考えた方が気性に合ってる人間もいるのでは?」ということです。
特に、最近の声優志望者の方の志望動機は「演技や芝居に魅せられて」ではなく「活躍されている声優の声に魅せられて」という方も多いと思うのは私だけでしょうか?
声について追及するモチベーションが高い人間から、それを取り上げるのが得策だと私は思いません。
何かを身に付ける上でモチベーションを維持するというのは大事なことであるし、難しいことでもあるからです。
なので、「地声で演じよう」というアドバイスをそのまま受け入れるのは、目的を失うかもしれないので気をつけましょう。
どちらでも至る所は同じ
結論から言うと、声優としての演技を魅力的なものにする上で、「声から芝居を考えること」も「芝居から声を考えること」もどちらも使います。
数学的に言えば「連立方程式」です。
x+2y=12
y=2x+1 みたいな感じ
片方だけでは根性で解いていくしかありませんが、二つそろえば「代入」して簡単に解を求めることができます。
もちろん、数学ほど単純ではありません。
実際は「声から」と「芝居から」を交互に繰り返していくことになります。
そうやって微調整をしていくことで、「キャラクターに適した声」というものがわかるようになるんですね。
言葉が足りない事故
ここまで考えると、よく言われる「地声で演じよう」というアドバイスも「言葉が足りないだけ」だと理解できますね。
アドバイスやディレクションなど人間の言葉のやり取りで「言葉が足りない」という事象はよく起こります。
これによって人は誤解したり、期待を裏切られたりしてしまう訳です。
あんまり遭遇したくない事態ですが、これが起こるから「ドラマ」が生まれるので、役者としては文句が言いにくいとことですね(笑)
まとめ
- 声だけでも、芝居だけでもダメ
- 両方を交互に考えることが大事
- モチベの高い方から取り組めばいい
- 言葉が足りない事象に気を付けよう
演技というものは哲学と非常に近い位置にいるものだと思います。
「ここまでできればカンペキ」というラインは存在しません。
時代も人間も揺らぎ移り変わるものなので、永遠に考える必要があります。
なので、声に考えが寄ったり、芝居に考えが寄ってしまっても、「あ、また変わったんだな」って感じで軽く受け止めましょう。
そっちの方がフッ軽で成長していけるはずです。
ではまた。
RinDa