やればできる子などいない
どうも、RinDaです。
今回は「やればできる子などいない」というテーマで記事を書いていこうと思います。
「やればできる子」とは何かというと
まだ行動には移していないだけで、いざ取り組み始めれば優秀な結果が出せる人間だということ
いわゆる「人の可能性は無限大」的なことですよね。
とても希望に満ちたいい物事のとらえ方だと思います。
ですが、時にその考えは非常に甘いです。
今回はその甘さについて説明していきます。
目次
あくまで可能性の話
「やればできる子」と言うのは、「あくまでその可能性がある」というだけの話である。
行動に移さない人間というのは「どうせできない」が思考のクセになっており、それを「未来への可能性」を示めすことで現状の打破しようとするためのスローガンが「やればできる子」です。
逆に言えば、行動を起こした人間にはあまり効果がない言葉かもしれません。
可能性というのは、とても効き目のある薬ではあるのですが、用法用量を正しく守らないととても強力な毒にもなります。
これは「努力は必ず報われる」と同じです。
確かに努力を継続するには「この努力は、絶対に無駄にならない!」というモチベーションは確かに必要ですが、それは「その努力の方向性が正しい時のみ」です。
だから、「努力は報われる」と信じるよりも「努力に報いる覚悟」をして自分の行動に自分で責任を持たないと「報われない努力」になってしまう可能性が高いです。
「可能性を信じる」という行為をするからには必ず「可能性を絶つ」という逆の行為をしなければなりません。
どちらかの割合が多くなってしまうと、「成長すること」ができなくなってしまいます。
目的は成長すること
やると決めたなら、いつまでも「やればできる子神話」を信じていてはいけません。
やるからには、成長するしかない。
成長するためには、「できないこと」を受け入れ、出来るようにしていかなければなりません。
なので、「やればできる」と思いこんでしまうと、いつまで経っても成長することができません。
「そんなことわかってる」って思われるかもしれませんが、意外と受け入れられない方が多いのは間違いないです。
変化を嫌うのは人間の特性みたいなところでもあるので、人間である限り「自分もその可能性がある」と思っておいた方が良いと思います。
「やればできる」は「できている」に分類されやすいです。
「できている」と思っていることをあなたは必死に練習しますか?
日本語をしゃべるなんて簡単だ。
毎日やってるんだから。
果たしてホントにそうでしょうか?
声優になる覚悟をちゃんとしている方なら、自分が日本語を喋れているのかどうか
わかっていますよね?
まとめ
- やればできるは行動するためのスローガン
- やればできるかもしれないという可能性の話
- 可能性は薬にも毒にもなる
- 可能性を絶たないと成長しない
- やるからには成長しなければならない
- 成長はできないと認めることから
「やればできる子などいない」というテーマでお送りしてきましたが、ここで前提をひっくり返したいと思います。
この世界にはやればできる子しかいません。
だから、やってやりましょう。
そして「やる」と決めたからには、そこにはもう「やればできる子」は存在しません。
そこにいる人間は「やればできる!」と思った人間だけです。
全員そうなら、そこに特異性はない。
次はどれだけ早く「自分はできない」を受け入れるかどうかにかかっています。
これはそう簡単なことではありません。
でも、失敗を恐れず立ち向かってください。
あなたは「やればできる子」なんですから
RinDa