「基礎はカンペキ」という状態について

どうも、RinDaです。

 

新しいネタが入ったので
今日も引っ越し作業そっちのけで
新記事を書きながら記事を
書いていきます。

 

今回のテーマは
「基礎はカンペキ」についてのお話です。

 

最近こんなツイートをしました。

 *1

 

二つ目のツイートにも書いてありますが、
こんなものは一般的に考えて屁理屈です。

しかし、真剣に考えてみると意外と面白いんです。

なので、少しだけお付き合いいただければと思います。

 目次

 

演技は進化する

先程のツイートにある
「基礎がカンペキ」という言葉は
先日の私のブログ*2で登場した
『「基礎はカンペキ」なんてものは存在しない』
から派生して、例えに用いたものです。

なので、このツイートは
「演技には基礎錬あるのみ」という
私からのメッセージを、
私が否定したものになります(謎)

「基礎がカンペキ」という状態は存在しないのは、
演技に完成形が存在しないからです。

歌舞伎は江戸時代の演劇の最高峰ですが、
現代では古典芸能として扱われているように

演技というものは
時代と共に進化していくことが理由と言えるでしょう。

平安人は好奇心をくすぐられると「いとをかし」といいますが、
現代人は「すごい」とか「ヤバイ」とか言いますよね。
そういう言葉の変化だけでも、演技は変化する。
演技というものはとても繊細なんです

 

変わらないもの

そんな中、演技に関係するもので
変わらないものがあります。

それはシチュエーションの成立という概念です。

ちなみになんですが、
私は「シチュエーションを成立させること」を「芝居」と呼び、
「そのために必要な手段のこと」を「演技」と呼ぶようにしています。

 x+y=zが成立するならば、
(x,y,z)は何だって言いということです。

ただそこには、さまざまな条件が存在する。
その条件に「時代」が大きく関係しているのです。

例えば、
「Aは、王の座を奪い取った末、Bによって奪われる」
というシェイクスピア作のマクベスのシチュエーション。

これを日本の戦国時代で成立させた作品が存在します。
それが、黒澤 明 監督作の「蜘蛛の巣城」です。

そこでは、シチュエーションを成立させるため
セリフや設定に様々な工夫がされています。

シチュエーションだけでいいなら、
アニメ「コードギアス~反逆のルルーシュ~」も
マクベスのシチュエーションを成立させている
と個人的には思います。(大筋は変わってしまいますが)

というように、シチュエーション自体には
悲劇、喜劇、勧善懲悪、恋愛、ファンタジーなど
さほど多くのパターンが存在しているわけではありません。
組み合わせや世界観によって多様に見えているだけです。

なので、いつの時代でも
シチュエーションの成立という概念は
変わらないと言えるのではないかと思います。

 

何をもって「カンペキ」なのか

さて、本題に戻りましょう。

演技の全ては基礎であるゆえに
「基礎に『カンペキ』という状態は存在しない」

なぜなら「演技は時代と共に変化するから」だ。

しかし
演技を手段としている「芝居(シチュエーションの成立)」
その全貌を変えることはない。

 

それを裏付けているもの、それは

「そこに存在するさまざまな条件」である。

 

であるのであれば、
「基礎が『カンペキ』という状態は存在しない」
にも条件を付ければ成立すると言えなくはないはず……!

 

それを成立させる条件、
それは「時間」です。

 

切り取られた時間の中でなら
正解の演技を特定させることが可能です。
(それはとても漠然としてるかもしれませんし、
とてつもない困難を極めるかもしれませんが)

 

正解の演技ができるのであれば、
その切り取られた時間において
その人の基礎はカンペキといってもいいでしょう。

よって、時間さえ決めれば、
基礎はカンペキという状態が存在します。

矛盾だらけの世界

さあて、かなり熱く書きましたが、
ご理解いただけたでしょうか?

もう一度言います。
これは「言葉遊び」であり「屁理屈」です。

もしくは「理想」であり、
「キレイごと」なのかもしれません。

でも、「基礎はカンペキ」という状態は
確実に存在しています。

もし、その日受けた仕事が「アーー」という声を
30秒間だけ録るのなら、

30秒間「あ」という音を正確に発声する
基礎があれば「基礎はカンペキ」といえます。

しかし、その次の日の仕事に必要な基礎が
その日の基礎であるかはわかりません。

そのためには基礎を鍛え続ける必要があります。

そして、それに必要なマインドが
「『基礎はカンペキ』という状態は存在しない」
ということなのです。

さあ、戻ってきましたね(笑)

そうなんです。

「『基礎はカンペキ』という状態を存在させる」には
「『基礎はカンペキ』という状態は存在しない」と
信じなくてはならないのです。

これだから世界は面白い。

これだから言葉は面白い。

これだから人間は面白い。

さて、明日はカンペキな日なのか?

そうではないのか?

そのために、あなたはどうする?

 

RinDa

 

 

*1:背理法についての説明があいまいですが、背理法とは「『Aが成立しないならBも成立しない』ことを証明できれば、『Aが成立するならBも成立する』も証明される」という考え方です。このツイートは、「背理法的に考えて、『否定』が証明されるなら『肯定』も証明される」と考えた屁理屈です

*2:https://rinda-0884.hatenablog.com/entry/2020/05/01/235020